[Ukyo in Action]  亀屋廣清 


取材・執筆:江良みゆき、山口伊織

藤本佳廣さん(店主)

亀屋廣清は、京都市内中心部から北に向かって車で約1時間の地、豊かな自然に囲まれた右京区京北周山町にある菓子店です。大正11年(1922年)の創業以来、地域の人々から愛され続けるお菓子を製造・販売しています。お菓子には野菜、蜂蜜、卵、地酒などの地元で生産された食材が使われているものもあり、亀屋廣清と地域の深い繋がりを感じることができます。店舗には、季節の和菓子、焼き菓子、ケーキなど、「和魂洋才」 の様々な商品が並べられています。この地域は、戦国時代に明智光秀が活躍した地として知られています。そのため、明智光秀にちなんで、周山城や埋蔵金をモチーフにしたお菓子が販売されています。また、京北の伝統産業である「北山林業」に関連して、北山杉や木材をイメージしたお菓子も看板商品のひとつとなっています。今回は、現在の店主である3代目当主の藤本佳廣さん、そして奥様の藤本博子さんに、亀屋清廣でのお仕事や京北に対する思いを伺いしました。

亀屋廣清でお仕事をされて何年になりますか?

藤本:ここは僕の実家やから、大学出て3年間ほどよそへ行って、25の時帰ってきて。今は65やから、40年やね。

ここでお仕事される前は何をしていらしたのですか?

藤本:和洋菓子兼業店に住み込みで働きに行ってた。大学卒業後ですね。

亀屋廣清での主なお仕事を教えてください。

藤本:(ケーキとお菓子を指さして)これやね。毎日注文とは別にケーキ作ってる。常に店にも並べとかんなんし、売れる時はそれが二回転も三回転もしたり、売れへん時もあるし、日によっていろいろ。そして、空いている時間に、こういう日持ちのするお菓子を作ってるから、朝から晩まで何か作ってる(笑)。

昔は和菓子を中心に作っていたと伺っているのですが、洋菓子を作るきっかけとなったことは何ですか?

藤本:親が和菓子作ってたけど、和菓子に限界を感じてたんかな。僕は洋菓子と和菓子、両方やってる店行ってて、そこでは洋菓子を作ってたし。洋菓子の方がその当時はよう売れてて、まだ洋菓子の方が売れ盛りの時やったから。それで洋菓子をはじめて。どっちかというと、和菓子の仕事は単調な仕事が多いけど、洋菓子はいろんなことを四六時中やってる。生モンでどんどん仕事に追われてるから、そうこうしてるうちに主流になってきた感じやね。

とくに思い入れのあるお菓子は何ですか?

藤本:このチーズケーキなんか、最初に店で任してもらった生ケーキ。ちょっとずつ配合は変わってるけど、未だにやってる。焼き菓子ではブランデーケーキを。店ではじめて任してもらった仕事。「木炭のかけら」とかこんなんも、なぜかよう売れて。一番最初に名前でヒットしたんは、このバームクーヘン「好木心(こうきしん)」。これは最初「北山杉のきれっぱし」いう名前で、よう売れた。ともかくこういう、名前にこだわったのはいろいろ思い出がある。

お店のホームページでいろいろなお菓子の名前を見た時も、とてもユニークな名前がたくさんあると感じました。どのように名前をつけているのですか?

藤本:ぱっと思いついて。降りてくる(笑)。

藤本(博子):あと、地域に愛着があるから、地域の良さをお菓子で発信しています。その「木心(きごころ)」って言うのも、木のお仕事をされてる方のことを思って。地域の基幹産業はずっと木材関係やったからね。今でもそうですけど、だからそういうのを大切に。地元の人が、手土産に使ってくださったり、どこかから来られた方が「ここへ来たから木にまつわるお菓子を買って帰ろう」とか思ってくださったら嬉しいなと思って。蜂蜜とかお酒とか、地域の材料を使ってお菓子を作って、より地元の情報発信をね。お菓子の媒体で。菓子屋なので、させてもらっています。

お菓子に込めたい思いとは?

藤本:京北の魅力も含めて、よそへ持っていく時に地元の人が自慢できるようなお菓子を作りたいとは思ってますね。

お菓子作りの他に、日常生活の中でしていることは何ですか?

藤本:きばって畑で野菜とか食材とか作ってるね。

藤本(博子):もちろん、地元の農家さんからも買わしてもらってますけど、自家菜園でとれたものも使ってます。

どんな時に地域の人々との繋がりを感じますか?亀屋廣清として、地域との繋がりを作るために何か取り組みをされていますか?

藤本:「緑の募金」の募金箱の設置、それから『京北の昔がたり』っていう伝承の本も置いています。その中に明智光秀の埋蔵金の伝承とかも書いてあるので、そういうお菓子も作らしてもらってるので、この本を置いておくことで、地域の皆様のお役に立っているかなと思います。あと、周山城の案内とか、こども110番の家とか、認知症関係のサポートとかのボランティアも。入り口のところに案内が貼ってあるんですけど、地域の方のお力になれたらと思ってやっています。

右京区、または京北でご自身が好きなところは何ですか?

藤本:この辺の緑の山間とか川とかは守っていきたいって思う。今は「右京、右京」言うけど、昔は「京都府北桑田郡京北町1」やったから、そのイメージがまだ抜けきれんね。

京北での暮らしは、ご自身にとってどのようなものですか?

藤本:市内からだと、山道通って、ちょっと雨降ったら通行止めになるし、できるならこんなとこ住みたくないなと思うこともあるけど、朝起きたらホッとすることもあるし。難しいとこや(笑)。

今も京北に住み続けている理由は何ですか?

藤本:朝起きてその辺散歩したら「あぁ、ええなぁ」とは思うし、のんびりしてるし。やっぱり生まれ育ったとこやから心は落ち着くね。

注1. 京都府北桑田郡京北町は平成17年4月1日より、京都市へ編入合併し、京都市右京区の一部となった。