[Living Histories] 黒川修子さん


取材・執筆:江良みゆき、山口伊織

黒川修子さんは、京都府京都市右京区京北周山町1  の料理旅館すし米の女将です。大正2年創業で約100年の歴史ある宿を、4人の子供を育てながら、切り盛りされてきました。すし米ホームページの「女将歳時記」では、季節に合わせて、すし米や地域の情報を発信されています。地域の活動にも熱心で、「丹波音頭を踊る会」や京北マップ作成など、様々な取り組みで活躍されています。

—女将として働く前はどのようなお仕事をされていましたか?旅館業や観光業などの業界に携わっておられましたか?

黒川:いいえ全くです。私は核家族の家庭に育って以前はOLをしてました。全然今の仕事とは違う職場で、さまざまな部署の秘書役として働いてました。

―OLから女将の仕事にうつられて、ギャップや難しかったこと、厳しかったことはありましたか?

黒川:ほんとに全てゼロからのスタートだったのでいっぱいありました。何もかもわからないことだらけやったから、今から考えたらほんとによくやったなって感じ。まだ女将の仕事を始めたてで裏方の仕事をやっている頃、1人目の子供が生まれて、子育てとの両立が大変でした。家と仕事場が全て同じ屋根の下で、その当時は大家族だったんです。主人の両親、叔父、叔母、その子供、住み込みの中居さん、大おばあさんと、ほんとに大家族でした。自分は核家族の家庭で育ったので、生活のギャップがあって、毎日目の前のことをこなすのに精一杯でした。

—女将の今の一日のスケジュールを教えていただけますか?

黒川:お客様商売なので、お客様に合わせた一日です。宿泊がある時、ない時、宴会がある時、ない時とかさまざまなパターンの日があります。例えば今日は、4時頃に起きました。宿泊のお客様がいらしたので、まず自分の身支度をしてから、お客様がお風呂に入られたり朝食を食べられたりするので、その用意をします。お客様が起きられてからチェックアウトまではお客様次第なので、チェックアウトされたらお部屋の掃除と洗濯をします。そして、お昼には新しいお客様が来られたので、接客をしました。家族のご飯を作ったり洗濯をしたりするのは仕事の合間で、全てお客様中心の一日になります。

—黒川さんにとって、右京区の誇れる魅力はどこですか?

黒川:右京区っていうより京北って思ってて、別だと考えてるんです。15年ほど前まで京都府北桑田郡京北町でしたからね。ここは田舎ならではの自然もあるし、子供を育てるにもいい環境です。車があれば小一時間で街へ出られるし、ゆったりしてるところが魅力で、私はすごい好きなんです。

ホームページで「女将歳時記」を拝見して、季節の風情が伝わって素晴らしいと思っていたのですが、ご自身が好きな季節はなんですか?

黒川:私は寒い冬が嫌いなんです。京北は冬が長くて寒いので、春の方が好きです。京北の春は桜がいっぱい咲くので、皆さんに来て欲しいと思います。どこを見ても桜で、すごく綺麗な空間が広がる街になります。

—その景色をお料理などで表現されるのですか?

黒川:春は山菜など美味しいものもたくさん、彩も豊かで、見ても楽しんでいただけます。代々受け継いできた、すし米名物「鮎づくし会席」をお目当てに各地からお越し頂きます。京北の鮎は美味しいので、すし米としては夏がおすすめです。

—右京区や京北の特に伝えたい魅力はなんですか?

黒川:京北は自然が豊かで素敵な人がたくさんいます。人口が少ないから繋がりが昭和みたいな感じで、おじいちゃんおばあちゃんから孫世代までのご近所付き合いがあるんです。それを煩わしいと思うか、温かいと思うかで変わってくると思うんですが、昭和感の残るいい街っていうところが魅力だと思います。

—綺麗な着物を着られていますが、着物について何かされていることはありますか?

黒川:着物は重いし、場所を取るし、興味がない人にとってはゴミになってしまうから、本当にいらなくて捨てるのなら、引き取って大事に着るようにしています。そのほか、せっかく着物を持っているのに着る機会がなかったり、自分で着られなかったりという地元の人たちのために、9年前に着付け教室を始めました。家に眠っている着物を着る練習が気軽にできるよう、生徒さんたちと一緒に着物を楽しむ機会を作っています。着物というのは一つの作品だから、大切に引き継いでいきたいと思ってるんです。実は最近、ポン酢に着物を着せてお土産として販売することになりました。これからも処分するはずだった着物を活用できるようなことを色々とやってみたいと思ってます。

注1. 右京区京北周山町:京都市から車で1時間ほどの豊かな自然に囲まれた絶景が自慢の町。2005年に京都府北桑田郡京北町が右京区に編入され、現在の京北周山町となった。